思想短歌?
角川「短歌」六月号で、「近藤芳美の歌に学ぶ」という特集が掲載されている。戦後の短歌界のリーダとして近藤は高く評価されているが、全く理解できなかった。いまだに敬遠したい歌人である。昔、「新しき短歌の規定」を読みかけたが、途中で投げ出してしまった。
その理由を挙げるとすれば、えらく高圧的な文章であったし、歌が詰屈(助詞「を「や「に」の多用)、思想的に過ぎて難解(散文ではっきり言えばよいものを)、教訓的で反発したくなる(「君らが・・」とか、何様なのだといいたくなる) など。例えば、
つねに醒めて支配者が待つひとつ行方国の憎悪の狂うかぎりを
平和ありき平和とかつてありし未来人は悔恨を未だ思わねば
旧き権威滅び行くとき今に学び君ら思想の陰惨を知らず
この特集を読んでなんとなく背景がわかった。つまり彼の生きた時代を共有していないと歌人としての位置付けも作品に対する共感もできないのだ。さらに、
短歌の「思想詩」としても意味を一つの活路として考えて
欲しい。そうしてそれはまだ近代短歌史としてほとんど
手付かずのままの、広大な未開拓の分野ともいえる。
という強い近藤の思い・信条がある。しかし、短歌のような短詩型で思想を述べるなどは、ていの良い逃げではないか、と思うのだが。戦争に対する思いなら、この雑誌にたまたま第40回迢空賞の小島ゆかりの作品がのっているが、その方がはるかに分かりやすく共鳴できる。
ただし、惹かれる歌がないわけではない。次のような良く知られた作品は好きである。
果てしなき彼方に向ひて手旗うつ万葉集をうちやまぬかも
森くらくからまる網を逃れのがれひとつまぼろしの吾の黒豹