天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

詩的な歌集

「短歌人」同人の酒井英子さんから、新刊なった第三歌集『薔薇窓を見よ』(六花書林)を頂いた。通勤電車の往復時間で一気に読み通した。酒井さんらしく「詩的な歌集」である。もちろん素敵な歌集である。今日のところは、何か言いたくなった歌をとりあえず分類しておこう。横浜歌会に出て話題になった懐かしい歌もある。

一読気に入った歌:
  にびいろに脱皮きわめしくちなわが見据える大地騒がしきかな
  古代より狭眞名とよべるさんま焼く夕星とみに冴ゆる頃あい
  覗きみてぐるぐるまわす万華鏡アンチロマンの頭は混濁す
  ふるびたる俎上に鯉はのせられて息絶ゆるまで跳ねねばならぬ
  野あざみの種子ひとつかみするどさに触れいて秋を哭くこともなし
  すこやかに羽博けるものきらめける翼とやいわな秋の律澄む
  岩燕濡るる翼いろカルデラの碧き湖までつつがはなきか


難解な歌:
  妖・瞋のいずれかあらず春土用猫の恋とて気に浮遊せり
  水は火を制するという磔刑のいたみ添えにき野焼見ており
  あるときは驕りの啓示さみしくば薔薇窓を見よとおくより見よ
  拾われしアダムもイブもいざ知らず土にまみるる像つつがなし
  血はさびしく博つものと知る万愚節よりつねにロイヤルブルー
  石庭に石は在るからいすわれる恃めなき日の無頼は言うな


破調:
  音のないマンションである 篠突く向いの雨脚みつむ
  ブルーチーズは蒼きがよろしセバスチャン・バッハ聴きつつ撮む
  才子多病の身すでに亡し英之の歌楔にまかれ
  牧師館通り抜け来てバッハ鳴るたしか無伴奏曲なれ
  羽化おえし青条揚羽野にいそげルノワール〈牧歌〉へ
  黒白の烏骨鶏並みたちてとさか立つるは驟雨のみぎり
  見上げれば秋の空ひとまずは噴水に胴上げされていたく
  そしていつかはいちにんの動きのとれぬ吾となるらし
  サヌカイトのしるき音色風と木と昔の空気ひた伝えてよ


老いの感慨の歌:
  さきゆきのみえぬを一分の安堵としやがて毀れし人形となる
  攻撃も保守もあらざるよわいもて意地のみとなる さかだちせんか
  合歓のはな茫とみつめてすぎこしはたのしかりしと人に告げまし
  あさあけの窓に陽のさすまぶしさよひとみはひらく今日の生あり
  干網をこまかくぬけし海風に今をよろこぶ生がまだある
  昔日は忽ちにして読み了えし書物のたぐい前ページ繰る
  反るこころおおかた消ゆる晩年は夢のひとつも見たいではないか
  晩秋の穹より誰か呼ばう声錯覚として風は過ぎにき
  そらの青海の蒼さを求めゆき渾沌となる今日この頃は


女の情念を感じる歌:
  うそざむきこころの壁をなぞりつついまし雪白の布を截り裂く
  しまわれし帯はやよいのさくら色累積の刻ながかりしかな
  にが瓜を割れば出でくる赤き種子赤児いくたりかぞえおりたり
  ふっくらと多肉植物膨るるを女人は指にてたしかめている
  鉄骨は匂うともなし鉄を組む男が曳きてきたる体臭


言葉の妙:
  むらさきの桐の花散るこの径をゆきつ戻りつ摩訶飽かずけり
  白鳥はひとまず餌をのみ込みてそしらぬふりの女人に肖たる
  樹は湖に影を写してしたたかな逆景となり蒼きさざなみ