天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌における表記

 午後から短歌人の東京歌会がある。雨さえ降らなければ、午前中は新宿御苑あたりに行って菖蒲園でも見たいところだが、適わなかった。
 今日の歌会で気になったのは、一首における表記をどう工夫するかということ。簡単な話では漢字にするかひら仮名かカタカナにするか、といったことである。たとえば、次のような詠草が出た。

  雪の下紫露草庭に咲き今は昔の教材植物
  *「雪の下」も植物の名前とのことだが、普通に見れば、
   庭の雪の下に紫露草が咲いているように思われてもしかたない。
   歳時記にあるように、鴨足草とか虎耳草とかの表記ができるし、
   ユキノシタと書いてもよい。

  ゆくりなく抱き締められて「あ」と言ひつ紫陽花のあを
  雨に溶け初む
  *好評だった歌であり、佳いと思ったのだが、四句目の「あを」
   が目に付きすぎる。上句の「あ」と呼応してしまうのである。
   ここは普通に漢字の「青」にすべきである。韻律の快さに、
   この歌の生命があるので、字面に読者の注意を向けさせるのは
   得策ではないからである。


佳いと思った作品を二首あげる。
  軒下に鎖ひきつつ朝の日にドッグフードを食ぶるたのしみ
  *わが解釈は、人間のエゴによって鎖につながれて飼われている
   犬が、ドッグフードを食べることを毎日の楽しみとしている、
   というまことに残酷な状況を告発しているのだ。
   そうした説明は誰からも出なかった。

  五時に待つ君を想ひて走るとき街中のとけい五時打つけはひ
  *「五時」とは、朝か夕かわからない、とか現代のデジタル時計
   では「打つ」というのはそぐわない、とかいった意見が出たが、
   問題外である。よく心情を表現し得ていると評価したい。