天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

破調

 酒井英子さんの歌集『薔薇窓を見よ』(六花書林)からいくつかの歌について考察しておこう。
はじめに破調について。
破調の歌とは、短歌の五、七、五、七、七の句切れ・韻律が崩れた歌のことである。塚本邦雄が積極的に用いた初七調は、七、七、五、七、七であり、梁塵秘抄閑吟集の古典歌謡や小歌の韻律を短歌に応用したもの。また、字余り・字足らずも破調になる。極端な例として、高瀬一誌が得意とした三句目省略型がある。次のような歌である。
  ブレーキをうけとめしのちバスにはバスのこらえ方あり
                 (五、七、七、七)
  何かせねばおさまらぬ手がこうして石をにぎりしめたり
                 (六、七、七、七)
  ハサミがなくなったというおんなの叫びを子がもらいたり
                 (四、八、七、七)

三句目が抜けると脱力感が生じるが、下二句が七、七になっていると短歌らしく聞こえるから不思議である。酒井英子さんの歌でこの形を探すと、
  音のないマンションである 篠突く向いの雨脚みつむ
                 (五、七、八、七)
  ブルーチーズは蒼きがよろしセバスチャン・バッハ聴きつつ撮む
                 (七、七、八、七)
  才子多病の身すでに亡し英之の歌楔にまかれ
                 (七、六、七、七)
などが出てくる。
大変めずらしい例は、初句省略型。
  そしていつかはいちにんの動きのとれぬ吾となるらし
                 (七、五、七、七)

 効果を狙って破調を使うわけだが、内容を表現するのに三十一文字は不要な場合に、この手を考えてみるとよい。ただし、ここまで定型を破壊した歌は、短歌ではない擬似短歌である、と主張する歌人たちもいる。


次は、難解歌から。

  あるときは驕りの啓示さみしくば薔薇窓を見よとおくより見よ

  *歌集名となった歌であるが、難解である。個々の句の意味は
   明らかであるが、それがつながると理解できなくなる。
   先ず「薔薇窓」から解読すると、中世ヨーロッパでは文字の
   読めない人々がほとんどであり、聖書を大量に印刷する技術が
   なかったので、天井や壁に聖書の内容を描いて民衆にわかり
   やすくした。ステンドグラスの絵巻もそうである。薔薇の形の
   薔薇窓は教会の天井近くにある。例えばサント・シャペル礼拝堂
   の薔薇窓には、黙示録(啓示)が描かれている。この歌上句の
   「驕り」とは、作者の感受・思いであろう。聖書の啓示が、
   驕りに感じられて寂しくなるならば、ある時はそれが描かれて
   薔薇窓を見なさい、遠くから見てみなさい、という意味で
   あろう。それで何が分ったことになるか?共感できるか?
   残念ながらキリスト教にも聖書にも詳しくない身には、ピンと
   こないのである。