天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

蕪村の俳句(1)

 出張に岩波文庫の『蕪村俳句集』を持っていき読んだ。今の季節なので夏の部を集中的に。つくづく感じるのは、芭蕉にせよ蕪村にせよ、古典の漢籍や日本文学をよく身につけていることである。夏の部について、日本の古典を踏まえている句を以下にいくつかとりだしてみよう。現代俳句ではこうした行き方は、全く影をひそめた。現代短歌でさえ、塚本邦雄があるのみ。


      わするなよほどは雲助ほととぎす
      *伊勢物語より。
       「忘るなよほどは雲居になりぬとも空行く月のめぐり
        逢ふまで」
      
      名のれなのれ雨しのはらのほととぎす
      *謡「実盛」より。
       「名のれ名のれと責むれども、つひに名のらず」


      来て見れば夕の桜実となりぬ
      *新古今集・能因の歌より。
       「山里の春の夕暮来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける」


      実ざくらや死にのこりたる庵の主
      *西行山家集より。
       「願はくば花の下にて春死なんそのきさらぎの望月
        のころ」


      狩衣の袖のうら這ふほたる哉
      *源氏物語・蛍より。
       光源氏が帷子に包んでいた蛍を放ち、その光で玉蔓
       の横顔を、兵部卿宮に見せた話。


      関の戸に水鶏のそら音なかりけり
      *枕草子より。
       「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも世に逢坂の関は
        ゆるさじ」


      白雨や門脇どのの人だまり
      *平家物語より。
       鹿の谷の変で死罪となった婿丹波少将成経を、教盛が
       兄清盛に懇願して、自邸に引き取った。