天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

シュールな俳句

 俳句における取り合わせ(コラージュ)の技法は、本質的にシュールな俳句を作るのに適している。まったく異質なものを取り合わせて、読者がシュールなイメージを想起することができるのだ。この意味でも俳句は、世界に誇ってよい日本の文芸である。とは言っても理解不能な俳句はたくさんある。
「俳句研究」七月号に中原道夫の特別作品52句が載っている。理解不能な句も多いが、気になるものをいくつか取上げてみる。

     口傳はてどこで違へし松の芯
     *「口傳はてどこで違へし」は、わかりやすい。口伝えの
      話は途中で内容が違ってくるというのだ。だが、
      「松の芯」とのとり合せがピンとこない。庭の松でも
      見上げていたか?それにしては、上五中七が時代がか
      っている。まさか能か歌舞伎の場面を見て作ったのでは
      あるまい。


     鱧の皮どないこないもあるものか
     *どうしようこうしようもない、「鱧の皮」の食べ方は
      きまっているのだ、と読めばわかる。


     梅雨鯰下駄に三ツ目と二枚の歯
     *下駄に三つ穴があり、裏には二枚の歯がついているわけ
      だが、それと「梅雨鯰」とのとり合せ。梅雨時期になる
      と産卵のために野川に鯰が現れる。下駄を履いて野川を
      通りかかったら鯰がいたのだ。


     會はぬとは怖ろし山独活かくも長け
     *このとり合せはよく分かる。下宿でもして離れて暮ら
      していた息子が、ちょっと見ぬ間に、むくつけき男に
      なっていた、と解釈すればよかろう。


     泉知る善男善女とはゆかぬ
     *まるで理解できぬ。


     夏至の月奇形真珠(バロツク)蔵すとも死貝
     *奇形真珠にルビをバロックと読ませることに違和感
      を持ち、反対するむきも多いと思うが、感覚的に
      理解できてうまい!


     目を盗みさうめん流れゆく勝手
     *素麺を擬人化しているのか?作りすぎの感あり、
      頂けない。


     「こんてむつすむん地」蝉の穴塞ぐ
     *コンテムツス・ムンヂ は、ラテン語で、世を厭う
      こと。その変形の「」はキリシタン用語で、世の思い
      を捨てる、という意味らしい。蝉の穴に厭わしい世に
      対する思いを閉じ込めて穴を塞いだ? どうもよく
      わからない。


     すててこや護謨(ゴム)に風邪ひく難いまだ
     *中句と座五が意味不明というか、イメージを結ばない。


     四隅まだ遥けきいろの油團なる
     *油團(ゆとん)とは、和紙を広く厚くはりあわせて油を
      ひいたもので、夏の敷物にする。従って夏の季語。
      四隅はまだ色あせていない、おろしたての頃の色を残して
      いるのであろう。感覚的に理解できる。