天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

徒然草(2)

 吉田兼好は、鎌倉・南北朝期の歌人、随筆家である。卜部兼好が俗名。卜部氏は神官の家柄で、京都の吉田に住んだので、吉田姓も使った。三十歳ころに出家した。二条為世に和歌を学び、頓阿、浄弁、慶雲とともに和歌四天王と呼ばれた。随筆と言えば、清少納言の『枕草子』が第一に挙げられるが、そこでの話題はすべて世俗に関するものであったのに対して、兼好の『徒然草』の話題は、世俗、仏道、遁世と三種類がある。
 『徒然草』に出てくる文章も、漢籍から来ているところがいくつもあるようだ。いちいち出典を言わないで書いてあるので、どこが兼好独自の発想なのか見分けるには、相当広範な教養が必要である。ここが専門研究のテーマともなる。例えば、第四十九段の有名な書き出し「老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳、多くはこれ少年の人なり。」は、実は、宋代の臨済宗の僧・死心悟新の語から来ていることがわかっている。「古人云ハク、老野来ルヲ待チテ、方ニ道ヲ学スルコト莫レ。孤墳ハ尽ク是レ少年ノ人ナリ」とあり、鎌倉中期の仏教説話集『沙石集』にも引かれているので、当時は、教養人なら出典を知っていたのであろう。
 よけいな感想になるが、神道家に生まれながら出家して仏道に入るとは。神道には、修業によって悟りの境地に至るといった深い哲学的な思想は無いのであろうか。