天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

郡山城跡(2)

毛利元就の墓

 島根県安来に本拠をおく尼子氏は、晴久の代になってから近辺の領土拡大に積極的になる。1540年から1541年にかけて毛利元就郡山城を攻略するが、大敗した。これが、昨日紹介した古戦場での結果である。以降尼子氏の勢力は急速に衰えていく。
 先ず郡山のふもとの清神社にゆく。境内の樹齢四百年ほどの杉の大木に癒される。そこを出て右手にある「吉田少年自然の家」の庭の片隅に、「三矢の訓」の碑を見に行く。
毛利元就といえば、子供達に諭した三本の弓矢の訓えが有名。次に歴史民俗資料館に入ってこの地区の通史を駆け足で見たが、余りに土俗的で興味が湧かない。本当は、そこにこそ歴史の実体があるのだが。歴史民俗資料館を出て元就の火葬場、元就の墓と登ってゆき、頂上の本丸跡に達する。暑くて暑くて眩暈がする上に、なんとも藪蚊がしつこく首の回りにつきまとってうるさかった。頂上に立つとこの山城を擁する城下町としての吉田の位置づけがよく理解できる。町の三方を囲むように江ノ川と多治比川が流れていて、毛利元就の築城理論がわかるような気がする。