天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

左様奈良

 九月に入った。靖国神社の拝殿社頭掲示を見に行く。パンフレットには、大正天皇の「寄國祝」と題する次の御製がのっている。大正五年の作。
     日の本の 國のさかえを はかるにも
     まなびの業ぞ もとゐなるべき


遺書は、昭和二十年五月に、フィリピンルソン島で戦死した新潟県出身二十歳の青年のもの。父に宛てている。当時は、陸軍船舶特別幹部候補生であった。


  遺書に見る「死して護国の鬼となる」実に武人の本懐といふ
  悲しみも悩みもなくて青空のやうな気持で死地におもむく
  父に書く今のいつはわざる心地死を決意してはれやかなりと
  軍人のはぢざる死に方誓ひてはその時笑って迎へたまへと
  陸軍の特別幹部候補生武人としての死を誓ひたり
  父宛の遺書なればにや青空のやうな気持にいつはりなしと
  恥づかしくなき死に方を誓ひたり田舎の父を慮りて
  文末に左様奈良とありルソン島ラモン湾に死す享年二十歳