天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

結句の音韻分析

 角川「短歌」で、小池 光の「短歌人物誌」が連載されている。哲学者、作家などの人物を詠いこんだ短歌を観賞する面白い企画。歌に出てくる人物とその時代的背景を調べつつ、歌を鑑賞する。場合によっては、歌の作者の思い違いまでを指摘している。小池の文章が好きなので毎号が楽しみである。十月号では、作家を取上げている。それはともかく、今回、取上げるきっかけは、斉藤茂吉の次の歌の興味ある解説の最後の数行にひっかかったためである。
  雪降れる湖水のほとり二人ありくヘルマン・ヘッセ
  ハンス・カロッサ

小池の解説の最後に “音数が七音の人名を二つ並べて下七七に据える。ごく珍しい。順番はどちらが先でもいいが「ヘルマン・ヘッセ」は四三、「ハンス・カロッサ」は三四で韻律が違う。どちらにすべきか、茂吉はきっと数秒の間、考えた。”  とある。つまり茂吉は、
  雪降れる湖水のほとり二人ありくハンス・カロッサ、
  ヘルマン・ヘッセ

ではどうか、と考えた。

 小池のこの文章にひかかったのには理由がある。実は、茂吉の歌論に「短歌における四三調の結句」という論考があることを思い出したからである。
 茂吉は、短歌格調の分解的研究をする場合、最も興味あるのは、初句、第三句、結句の研究及び一首全体との相互関係にあると主張する。で、この論文は、井上通泰博士という人が、結句について、次のように云ったことに対して、四三調でも良い歌がある、ということをさまざまな実例を探してきて反論している。井上通泰博士は、『結の句の七は必ず三四ならざるべからず。万葉には四三なるもの往々之れあれども苟も重きを調べに置くを知りてよりこの方古今然り金葉然り。四三にすれば自然に耳立ちて諧調を得ず』と言う。つまり、結句を四三にすると重々しくなく聞き辛くなって良くない、と言うのである。茂吉は、四三調にすれば、強烈な内的活動、内に籠れる強み、痛切の感などを表現できるということを、例歌をいくつもあげて実証している。

小池は、当然、茂吉のこのような歌論を踏まえて、「茂吉はきっと数秒の間、考えた。」と書いたのである。