天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

十月になった

雨上がりの昼休み、靖国神社社頭に今月の遺言パンフレットを貰いにいった。冒頭に、昭和天皇の御製がのっている。昭和35年宮中歌会初めのお題「光」として

    さしのぼる 朝日の光 へだてなく
    世を照らさむぞ わがねがひなる


遺言の主は、昭和二十年八月に宮崎県で戦死した陸軍甲種幹部候補生。享年20歳。


  心身の固まらざるにはや来たり終戦間際の召集令状
  入営の後も身体に気をつけて生まれ変はると父母に誓へり
  身命を大君にささげ我行くと末尾に書ける辞世幼き
  戦死後の特進なれや遺言のコピー署名の陸軍兵長 
  型どほり書きたる遺書を残されし父母が凝視す行間の情
  赤紙は日本男子の本懐と覚悟しをれどあまりにはやき
  はやばやと来たる召集令状に覚悟する間もなかりしといふ
  すめろぎに命ささげて悔ひざりし兵の御魂を誰か鎮めむ
  悪人も死ねば許さるこの国の思想はつひに相容れざりき
  月々の掲示さみしも類型の兵士の遺書とすめろぎの歌