天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

箕面に遊ぶ

箕面

 金曜の夜は箕面観光ホテルに泊まった。夕食は、箕面駅前の蕎麦屋に入って「きのこそば」と「山菜ばら寿し」で済ませた。翌日は、箕面公園の奥の滝に向う。川沿いの道を素直にたどればよかったのだが、山道に入ったためとんでもない方向へ迷いそうになった。
 もはや記憶のかなたというほどの昔、箕面に一度来たことがある。当時はそこここに猿がたむろし、通行人の食物を奪いとっていたはずだが、今はその影さえ見かけない。山の尾根道で一頭に出会っただけである。お互いに見詰め合ってすれ違った。急な山道を上り下りして結局川沿いの道に戻り、滝まで歩いた。箕面の紅葉には時期尚早であった。そう都合の良い時節の出張はないので、まあしかたない。
後藤夜半の代表句
     瀧の上に水現れて落ちにけり


は、戦前全国名所俳句募集の瀧の部一位入選作とのことで、瀧前句碑になっている。滝の句といえば先ずあげられるほどに有名になってしまった。ただし、夜半がこの句をここ箕面の滝を見て作ったとは、書いてない。
 滝の傍には頼山陽漢詩碑もある。山陽が老母を伴い、友人達と遊んだ時にこの地で作った漢詩である。かなり力が入っている。
     萬珠(ばんじゅ)、沫(あわ)を濺(そそ)いで、
     秋暉(しうき)に砕く。
     仰ぎ視る、懸泉(けんせん)の、翠微(すいび)を劃するを。
     山風、意を作(な)して、気勢を争ひ。
     横さまに、紅葉を吹いて、満前(まんぜん)に飛ばしむ。


 また大正四年には、十五年間の米国留学を終えた野口英世が老母をつれて箕面に遊んだ。滝道からそれた山の中腹に英世の若々しい銅像が立つ。上野公園のものよりもっと若い年代のようであるが、右手に試験管をかざす姿は同じである。


  ひばりヶ丘花屋敷とふ駅あれば面をあげて文字を確かむ
  功なりし英世が母と来しところ箕面の山の温泉に入る
  温泉の滝なすお湯の下に坐し会議に凝りし肩を打たする
  湯上りの身をやすむれば夜あけて箕面の空の雲かがやけり
  心臓の鼓動気にして横たはるベッドから見る朝焼けの空
  海苔はどこ焼き海苔はどこと探しゐるみな日本人朝の食堂
  曖昧な味の和食を食ひたれば口直しにぞ朝のコーヒー
  迂回とは知らず踏み込む桜谷山越えくれば猿と行き逢ふ
  試験管右手にかざす銅像箕面の山の中腹に立つ
  かへるでのいまだあを葉の並み立てる滝道を来て滝口を見る
  滝おちてくれなゐの橋かかりたり山をいろどるもみぢかへるで
  山陽も英世も母を伴ひてここに来たれば孝養の滝
  山陽の漢詩碑文を仰ぎみる箕面の山の滝水の音
  リハビリに往復すらし老人がのめるがに行く川沿ひの道
  無駄道を歩きし疲れどつと出て新幹線の席に沈みぬ
  
     死ぬまでの母を憂ふる落葉かな
     一頭の猿と行き逢ふ秋の山
     川沿ひに滝を目指せる紅葉かな
     滝水の飛沫をかぶる紅葉かな
     口開きて滝を見上ぐる紅葉かな
     滝口に深呼吸する紅葉かな
     もみづりを促して降る滝しぶき
     川底に緋鯉沈める地獄谷
     岩ごつごつ紅葉なだるる地獄谷
     もみづりの待たるる山や瀧安寺
     波立つる鮠の背鰭や箕面