天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

何を期待するか

 短歌に何を期待するか、という質問に対して、読者、歌人それぞれに答があるはず。一般の読者は、多分、「癒し」という答が一番多いであろう。対して専門歌人は、新しい表現による抒情あるいは社会批評などと答えるであろう。特に最近の現代短歌は、批評性を重視している。若山牧水北原白秋斎藤茂吉など一般読者が好むような短歌では、到底満足できない。文芸ゆえに常に新しい表現・抒情を開拓しなければ存在意義がないからである。
 こうした観点から、和歌・短歌史を分析するのも面白いテーマになりそうである。

『和歌の本質と表現』(勉誠社、和歌文学講座Ⅰ)を読みつづけているが、さっぱり迫力ある解説に出会わない。特に大学の先生が書くものは、理解できないというか納得しがたい内容が目立つ。そんな中で、昨日読んだ歌人・三枝昴之の「社会性ー〈エキス表現〉の戦後的展開ー」は、新鮮な切り口でありよく分かった。以下にポイントを紹介しておく。
 戦後の第二芸術論のように、短詩型では、〈量的不足=質的貧困〉ということで、思想などの表現には向かない、との批判があった。それに実作で応えるべく、前衛短歌の旗手である塚本邦雄岡井隆は、個人の感情表白を超えて〈社会性〉を強く意識した作品を発表した。例えば、


  革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液化してゆくピアノ
                      塚本邦雄
  海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ
                      岡井隆