高浜虚子と鎌倉
鎌倉時代の芥川龍之介は、俳句を虚子主宰の「ホトトギス」に投句して虚子の選を受けていた。
また鎌倉に住んだ吉屋信子も虚子に俳句を師事した。それであらためて鎌倉文学館刊行の「鎌倉文学碑めぐり」を見直して、信子と虚子の句碑の場所を確認した。信子の句碑は、彼女の墓地に同居している。高徳院の大仏裏の墓地にある。結界の鉄柵を開けて入った。
秋燈下机の上の幾山河 信子
まことに吉屋信子の一生を象徴する句である。
次に虚子の住いの跡を訪ねることにした。江ノ電の沿線、和田塚駅と由比ヶ浜駅の間にあるとは知っていたが、今まで見つけられないでいた。
波音の由比ヶ浜より初電車 虚子
この句から想像されるように虚子庵は、その庭を隔てているとはいえ、江ノ電鉄路のすぐ傍にあった。今は別人の所有になっていて、木戸の両側に二つの表札がかかっていた。ただ、人が住んでいる気配はなかった。虚子はここに、明治四十三年から八十五歳で没する昭和三十四年まで住んだ。改築したばかりの虚子庵で亡くなった。
由比ヶ浜に出てぼんやり海を眺めた後、江ノ電長谷駅に戻り帰途についた。
虚子庵趾訪ねあてたり杜鵑草
虚子庵趾路傍の句碑に冬日差
江ノ電に触るる尾花もありにけり
冬の海天使の梯子いく筋も
四画なる小さき墓、句碑白々と長谷大仏の墓地にしづもる
由比ヶ浜渚に寄れる海草の何をつひばむ土鳩の群は
黒雲ゆ天使のはしご降り来たりヨット群なす鎌倉の海