天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

前衛俳句?

 「俳句研究」一月号(新年号)に出てくる作品を見て、あらためて前衛俳句ということを思った。短歌と違って俳句では、あまり前衛ということが話題になってこなかったように思う。何故か?そもそも俳句のように極端に短い詩形では、それだけで前衛性を持っているからである。基本になる手法の取り合わせがシュールな情景を容易に想起させる。ただ、次のような作品は鑑賞するのに、かなりの想像力を必要とする。


     A ビル街に白木槿フリーターのように
     B 宵闇の海洋深層水と老童
     C 一日中光り貪り夜長かな
     D 夢の世に葱を作りて寂しさよ
     E 行けど行けど一頭の牛に他ならず
     F 天心にして脇見せり春の雁


 A,B,Cは金子兜太の最新作で、評価はこれから。D,E,Fは永田耕衣の高く評価されている古典的作品である。A,B,Cもそれぞれなんとでも解釈はできそうである。例えば、C。
これは、金子兜太の自画像ととる。禿頭だから一日中光っている。年寄りなのにすべてに貪るがごとく興味を持つ。おまけに秋の夜長だから食欲も旺盛である。
が、それですばらしい俳句と評価できるか? よい俳句となるにはよい鑑賞が必須なのだ。