天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

知事選に思う

 多田一臣著の『大伴家持』を読んでいて感じたこと。
家持は二十九歳の若さで越中国司になったが、最上位の守である。現在の知事に相当しよう。国司は、それぞれの国において,戸籍の作成,班田収授,租税徴収,兵士の召集などを任務とし、管内では絶大な権限を持った。守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)などの四等官と史生(ししょう)以下の下役人からなり,任期4〜6年,都から派遣された。当時の国司は、人事担当の上級貴族が推薦し天皇が任命する形をとった。家持は越中国司になって赴く際、天皇からその国の治世を任された、という認識を持っていた。随分若い知事であったし、地方行政に関する知識をどの程度身につけていたか明らかでないが、実務を担当するのは、同行する下役人と地方豪族の中から選ばれた官吏であった。国司は年一回、都にその年の行政情況を報告する義務があった。
 家持は、政治を円滑に運ぶために、節目節目で宴会を催し、官僚達をねぎらった。越中国司を5年間勤めたが、その成果を評価され帰京時には少納言に昇進した。その間、私腹を肥やしたような記録はない。国司が私腹を肥やすようになるのは、平安時代以降である。
 現代の知事の成果は選挙民が評価するのだが、汚職を監視することは困難である。どだい地方議会の議員にしてから、その地方の団体の利益を代表しているから、団体のためになる方向に動き、不利になることには断固反対する。談合が当たり前になる。
 奈良、平安の治世は、完全な中央集権制であった。現代は、地方分権が主流である。そのために格差が生じ、国の政治が悪いとの批判がでている。少し前までは、地方自治体はもっと地方分権をと主張していたはずなのに。結果、折衷案として道州制が検討されている。