天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

岡崎城

岡崎城

 岡崎公園の桜はまだ莟の状態であった。夜桜見物用の電気提灯はすでにずらりと掛けてあったが。
 岡崎城について。案内板によると、15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣が現在の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格的な岡崎城を構えた。1542年(天文11年)12月26日、徳川家康はここ岡崎城内で誕生した。江戸時代、岡崎城は「神君出生の城」として神聖視され、本田氏(前本田)、水野氏、松平氏、本田氏(後本田)と、歴代譜代大名が城主となった。石高は5万石と少なかったが、大名は岡崎城主となることを誇りとしたと伝えられる。
この城は、明治維新後に破壊されたが、昭和34年になって現在の天守閣が復元された。


      家康が産湯の井戸も彼岸かな

  家康の遺訓書きたる碑(いしぶみ)の新しければ重苦しけれ


 岡崎駅近くには数軒の鰻屋があるが、名店といわれる「はせべ」でうな重の夕食をとった。メニューに俳人稲畑汀子の次の句が書かれてあったのには驚いた。こういうのは珍しい。
      桃の日にふと華やぎて書く便り