天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

御油の松並木

御油の松並木

 慶長九年(1604年)、徳川家康は奉行・大久保長安に命じて東海道御油宿から赤坂宿までの約600mの間に650本の松を植えた。これが御油の松並木である。現在は、350本程度が残る。古い松の切り株の後に若い松の苗が植えられ、保存が心がけられている。資料館に寄ったのだが、休館日でもないのに、鍵がかかったままであった。訪問客などめったに来ないからであろう。大体、地方の観光地の施設は、こうして赤字になるのである。(また、余計なことを書いてしまった。)
御油の宿には、徳川家康が二度立ち寄ったという浄土宗・東林寺が今でもある。本尊には、浄瑠璃姫の念持仏であった阿弥陀如来を祀る。浄瑠璃姫は、源義経が頼朝に追われて陸奥に逃れる際、三河矢作の里を過ぎた時、長者・兼高の家に宿をとったが、義経のつれづれの笛に合わせて琴を弾いた長者の娘である。その縁で契りを結んだが、義経と別れた後も義経を想う心は日毎に募るばかり、悲しみのあまりついに菅生川(すごうがわ)に身を投じて短い人生を終えた、という。この地方では有名な伝説である。


  広重の絵に描かれし御油橋にわが佇めば菜の花咲けり
  客ひきの女出でなむ道すぢに御油の宿場のおもかげ残る
  本尊は浄瑠璃姫の念持仏契りは深き義経の旅
  おもかげの御油の宿場の道筋に「本陣跡」の碑が立つ
  

       旧街道黒松並木椿ちる
       のぞき見る十王堂は春の闇