天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

姫路城

花の姫路城

 金曜日に出張があるときは、できるだけ一泊して翌日を物見遊山にあてることにしている。今回は姫路に出張だったので、世界遺産に登録された姫路城を訪ねた。随分昔に、やはり花の時期に遊んだ記憶があり、もっとゆかしい花の苑であったような気がするが、それと重なる場所はどこにも見当たらなかった。思い出は常に現実よりも美しい、か。東京の桜は満開というのに、昨日から寒さが戻ってきて、ここでは桜もまだ三分咲き程度。
 姫路城築城の時期には二説あるらしい。以前は元弘3年(1333年)に播磨の守護・赤松則村が砦を築いたことに始まるとされていたが、最近の説では、16世紀中頃の黒田重隆・職隆のときに築城されたとする。貴重な点は、明治政府による城の破壊と戦災による消失を免れて、築城当時のままに残されていること。特に明治政府による城の破壊を思い留まらせたのは、ある陸軍大佐の進言によるという。天守閣入り口に、彼の顕彰碑が立っている。


      大いなる草魚集へり花の影
      軒下に雛の声あり天守
      井戸暗き腹切丸の桜かな
      皿屋敷さくら枝垂るるお菊の井
      城成りて花見の人出姥ガ石
      まなかひに天守閣据ゑ花の宴
      梓弓春陽(はるひ)差しくる天守


  塩米を備蓄せしとふ腰曲輪光返せる白壁の内
  姫山に白鷺降るる趣に世界遺産の城残りたり
  美しき城を誇りに思ひしや誰がために積む石の数々
  人の住む場所と思へぬ天守閣胸突き上ぐるほどの階段
  天守閣望みて敷ける青シート花の宴といふにさみしき


 午後からは天気が崩れるという予報なので、早めに帰京の新幹線に乗った。

[追伸]帰宅して、あらためてネットで姫路城のことを確認していたら、面白いことを知った。天守閣建造を担当した棟梁が、鑿を咥えて天守閣から飛び降り自殺した。それは、出来上がった天守閣が少し傾いている気がして、妻を伴って登ったところ、妻がそれに気付いて棟梁に指摘したためという。そしてこの事実が昭和の大修理の際に確認された。原因は、土台の石積みがある方向に沈んでいたためらしい。