上句と下句の衝突
「短歌研究」四月号の特集であるが、これは古典的な課題。俳句でも二物衝突という方法論が古くからある。モンタージュ、コラージュとも言う。
奈良七重七堂伽藍八重桜 芭蕉
花の香や嵯峨の燈火きゆる時 蕪村
短歌における上句と下句の句切は、常に三句目にあるわけではない。作者がどこに切れを入れるかで決まる。それはともかく、往々にして難解になるが、それは読者の経験なり知識が、上句から下句に連想が及ぶかどうかに関わってくるからである。「短歌研究」四月号に載っている例と作品から抜き出して見てみよう。
固きカラーに摺れし咽喉輪のくれなゐのさらばとは永久に
男のことば 塚本邦雄
*難解な歌である。上句と下句を仲介する三句目の「くれなゐの」
がくせもの。坂井修一の優れた鑑賞があるが、その中の一節。
「上三句と下二句の間には、あざやかな紅色に彩られた男の
別れを、一瞬で普遍ならしめるような、そういう種類の飛躍
がある。」
冬つひにきはまりゆくをみてゐたり木々は痛みをいはぬものにて
馬場あき子
*「みてゐたり」の主語は何か?作者であり木々でもあるだろう。
この重層性が歌に深みを与えている。
大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも
北原白秋
*「昼深し」が唐突であり一瞬断絶し、下句に接続する構造。
即ち、「大きなる手があらはれて上から卵をつかみけるかも」
という素直な文脈を断ち切ることで、不思議な感覚がクローズ
アップされた。
君去りしけざむきあした朝 挽く豆のキリマンジャロに死す
べくもなく 福島泰樹
*恋人と別れた後の苦い思いを下句で洒落て韜晦している。
シンボルとしての恐怖よ蜜蜂の巣箱を積みてトラック疾駆
藤原龍一郎
*これも難解な歌の部類に入るであろう。普通に理解するなら、
上句=下句の関係、つまり蜜蜂の巣箱を積んだトラックの疾駆が
恐怖の正体なのだ。
これらの例からもわかるように、上句の最後尾の状態に注目することが鑑賞のポイントになる。切れている場合、順接している場合。
なお、この「短歌研究」四月号から、小池光の「短歌を考える」という新連載が始まった。短歌の本質から検討するエキサイティングな内容のようで、これからが楽しみだ。