天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌人・4月東京歌会

 先の日曜日に上野で開催された歌会。例によって小池光のコメントをいくつかあげる。もちろん、皆が小池のコメントに賛成したわけではないが、小池に師事し選を受ける身としては、彼のコメントを絶対ととらえて遵守したい。


  一つ断り二つ断られしきょうのわれ雨の桜の下に佇む
  *具体的に何を断られたのかを言うべき。それによって、
   歌の表情が変わる。


  矢車草の花の季節と思はばや立待岬に眠る啄木
  *啄木の名歌「函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるま
   の花」を踏まえている。地名として函館が背景にあるのに、
   別の地名の立待岬を入れては焦点がぼけてしまうのでダメ。


  亡き父の思ひ出語れば幼な子はみひらきて問ふ「夢のおはなし?」
  *三人が登場して人間関係が複雑。亡き父と幼な子の関係が、
   親子なのか祖父と孫なのか、読者は戸惑う。


  釦ひとつホームにありぬそを落とせし上着をおもふ釦も想ふ
  *結句「釦も想ふ」は余計であり無意味。「そを」はぎこちない
   ので不要。文法では「落としし」が正しい。


  糠を入れたけのこ湯掻く蕗と煮てにっこり笑まうははに供えむ
  *動詞の数も多すぎるが、この場合材料は「たけのこ」ひとつに
   絞るべき。そして丁寧に詠む。つまり、心をこめるときは材料
   をできるだけ少なくすること。


 では次に、小池光自身の今回の詠草を紹介しておこう。

  閉所恐怖で死んだ人なしとおもふとき閉所恐怖のくるしみは増す


 人間の心理を短歌形式にのってうまく説明している。このような作りでは、読者はまず韻律よりも論理に注目して意味を理解し納得、なるほどと感心する。そして、散文とどこが違うのか、と韻律面を吟味して、「閉所恐怖」の繰返しが、字面でも音の面でも響いていることに気付く。これが小池の特徴ある作法のひとつである。「知の抒情」と言えるのではないか。