漢字を詠み込む
やまと歌である短歌に漢字を使うことは、歌の表情が硬くなる、ぎこちなくなるので、できるだけ避けるという暗黙の作法がある。ただ、安永蕗子のように、実に上手に漢字を使う歌人もいる。高野公彦もその一人であることがわかった。
高野公彦の第十一歌集『甘雨』を取り寄せて読み始めた。気付いたことのひとつに、この歌集では魅力ある特殊な漢字をあれこれ使っている。相応の国語辞書や百科事典でないと出ていないものまである。『甘雨』を半分くらい読んだ範囲で例を挙げてみよう。字面や発音に魅力のある漢字を使うことがポイントである。
あかねさす夕日夕波その果ては殺青(さつせい)といふ物
ありし国
*殺青はかんせい汗青に同じ。古代中国のまだ紙がなかった
時代、青竹のふだを火にあぶって汗のようにしみ出る脂を
ふき取って、それに文字を書いた。そこから、史書、記録
を意味する。
原発列島の息嘯(おきそ)のごとしぬばたまの夜ぞらに生るる
細稲妻は
*息嘯とは溜息のことで、万葉集・山上憶良の歌「大野山霧立ち
渡るわが嘆く息嘯の風に霧立ちわたる」にもある古語である。
白薔薇を真風(まじ)吹き包み原発のシュラウドかすかひび
割るるとふ
*真風とは南風のこと。四国や瀬戸内海地方で使う言葉である。
神様が聞いてゐますよ空尺(そらじゃく)を使つて歌を批評
する人
*空尺とは、尺度をごまかした物指で、不当な取引をするために
作って用いた。
寝過ごして深夜墨東の町に来ぬ顱骨(ろこつ)のやうな天心の月
*顱骨は頭骨に同じ。頭蓋骨のことである。
喪中あり十一月は鯨幕の向かうに動くひそかなる影
*鯨幕は、葬式の時に見かける幕で、白と黒の布を一幅
おきに縦にはぎあわせ、上縁に横に黒布を配している。
消渇(せうかち)の身を散歩にて鍛へゐし平井氏逝けり
齢七十二
*消渇とは糖尿病のこと。女性の淋病の俗称もある。
赤黄色の夕日のそらを翼手類しきりに飛びてこの世を嘉す
*蝙蝠の仲間を翼手類という。
性欲はつねみづみづし中ぞらを黒き天鼠(てんそ)の飛び
交ふ夕べ
*天鼠は蝙蝠の漢名。
叱りたるのちまた出づる御器かぶり改悛の情深からなくに
*「御器かぶり」はゴキブリの異名。
ほつほつと戦火とほくにありしかど無異消光(ぶいせうくわう)
の我の一年
*無異消光とは、ひたすら趣味に生きること。