天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

石橋山古戦場

石橋山古戦場と佐奈田霊社

 JR東海道線の根府川駅早川駅の中間地点のところに、石橋山古戦場はある。晴天薫風の中、根府川駅から早川駅まで歩き、途中のこの古戦場を訪ねた。小高い丘陵は、現在全部がみかん畑になっている。平安末期はどのようなところであったか、想像だにし難い。
 治承4年(1180)、以仁王平氏追討の令旨を受けた源頼朝は伊豆で挙兵、伊豆・相模の援軍300余騎を従えて鎌倉に向かった。途中の石橋山で平氏方の大庭景親の軍勢3,000余騎と遭遇した。
頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠が敵将の俣野五郎景久と対戦したのを契機に合戦に入った。如何せん、10倍を超える敵の軍勢に頼朝軍は敗れた。ここで戦死した佐奈田与一と俣野五郎の組討は、よほど語り草になったらしく、江戸時代には大判の錦絵が、多くの絵師によって描かれた。
なお頼朝は湯河原の山中に隠れた後、真鶴から海を渡って安房へ逃れた。この後、頼朝にとって奇跡が現れる。東国の武将たちが次々に頼朝に加勢し、20万の大軍に膨れ上がって、富士川合戦の勝利へと向うのである。
 

      白絹の富士まなかひに更衣
      雉啼くや古戦場址に鬨の声
      石橋山みかん花咲く古戦場


  ひよどりの声かしましく鳴き渡るみかん花咲く石橋山に
  薫風のみかん畑にしづもれる佐奈田霊社の緑青の屋根
  首を断つ刀抜けざれば討たれけりねじり畑に佐奈田与一は
  平家物語の筋をさへづれり文三堂の木立の鳥は
  先陣を駆けて討たれしもののふの墓を訪ふたび激し落涙
  ひよどりの被害ひどきを嘆きをりみかん畑を見上げて農婦