天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

飯盛山(3)

白虎隊自刃の場所

 飯盛山では20人の白虎隊士が自殺を図った。が、墓地には19人の墓しかない。よく知られているように、一人が生き残ったためである。刀で咽喉を突いて倒れたのだが、蘇生し助けだされた。飯沼貞吉(後、貞雄)である。だが、一人だけ生き残った恥さらしと非難され、故郷を離れざるをえなくなった。その後、逓信省の技師となり仙台逓信局工務部長にまで進んだ。昭和6年に78歳の生涯を閉じた。この人のおかげで白虎隊の詳細な行動が知られるようになったのだが、昭和32年になってやっと墓碑と顕彰碑が飯盛山に建てられた。
 大正十三年皇太子と妃殿下に会った飯沼貞雄が感激して詠んだ歌が墓碑になっている。
  日の御子の御影仰ぎて若櫻散りてののちも春を知るらむ


 会津の酒「花春」大吟醸を鰊の山椒漬と蕎麦三昧を肴に呑んだ。この鰊の山椒漬は文化五年(1808)に蝦夷から会津に伝わったもので、以来、会津の名産となった。


  ただひとり生き残れるを非難され会津を捨てて帰らざりけり
  東宮にまみえ涙す白虎隊ひとり生きながらへし老人