天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

言葉の位置と効果

蝶とコスモス

 短歌人・東京歌会に出席した。いつものように小池光の含蓄あるコメントを紹介しておこう。今回は、「言葉の位置と効果」という観点からまとめる。



  膠原病に苦しみし夫が使ひたる十六色のああ
  サクラクレパス
  *当然「ああ」が気になる。無くても十分心に
   沁みるが、使う場合には、この位置しかない。
   「ああ十六色のサクラクレパス」ではダメ。


  人が一人電車の中を縦に通り悲しみがあとに蹤いて行った
  *「縦に通り」が独特でしかも納得がいく言葉。また、漢字の
   「縦」と「蹤」を対比的に用いたところに工夫あり。


  顛末を聞きつつリンゴの皮を剥く青く熟れたる皮くるくると
  満州での敗戦の苦渋を地元紙に老いて書きつぐ大阪の女
  *前者の「青く熟れたる」は、言葉の常識に反しているので、
   変な感じを与える。後者では、「大阪の女」とくると、
   すぐに演歌を連想するのでマズイ。また「苦渋」もマズイ。
   「日々を」程度で十分。


  メディシンは良い薬だがドラッグは悪しき薬と言える税関
  *対句にするときは、形を統一すべき。「良い薬」なら
   「悪い薬」に、あるいは、「良き薬」と「悪しき薬」の
   対にすること。


  「現実を打開したいの」我が言は誘ひ文句と気づかれず(笑)
  *結句の(笑)という表記は、メールやブログでよく使われ
   ている。記号短歌の一種になる。