天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

見返り柳

千束4丁目10番

 「短歌人」十一月東京歌会は上野文化会館が会場になったので、午前中を台東区の旧吉原界隈を訪ねた。はじめに一葉記念館に入った。手紙や原稿など展示品は全て複製のようであった。記念館前の小さな公園に、昭和二十六年十一月に建立された「一葉たけくらべ記念碑」があり、佐佐木信綱作の次の二首が白々と書かれている。


  紫の古りし光にたくへつべし 
  君ここに住みてそめし 筆のあや


  そのかみの 美登利信如らも この園に来あそぶらむか 
  月しろき夜を


 記念館の受付で吉原の「見返り柳」の場所を聞き、地図をもらった。記念館を出て左方向へ一区画行った通りに一葉旧居碑を見つけた。一葉は明治二十六年七月に本郷菊坂町からここに移り住んだ。当時の情景を一葉は次のように詠んだ。


  鶉なく聲もきこえて花すすき まねく野末の夕べさびしも


通りも家並も昔日の面影をしのぶよすがは無い。
 旧吉原遊郭を囲む地域は、街角に昔の名前を記す柱によって分かる。おはぐろどぶに囲まれた正方形の地域であった。おはぐろどぶの跡形もないが。
 昔の仲之町通りには、キャバレーなのかトルコ風呂なのか風俗営業の店が並んでいて、日曜は朝から蝶ネクタイのお兄さんが店先に立っている。ただ、ハイキングシューズをはき、紺のジャンパーを着てよれよれの帽子を被った小生には、決して声をかけない。
 「見返り柳」は昔、大門近くにあったらしいが、今はガソリンスタンドの前にほそぼそと垂れていて、説明板と石碑がおかれている。かつては山谷堀脇の土手にあったが、道路や区画の整理に伴い現在地にうつされた。数代にわたり植え替えられている、とのこと。
 吉原神社にも寄ってみた。小さな社であり、掲示板に貼られた昔の吉原の区画図を若い女性が二人、熱心に見ていた。神社入口右手に句碑があった。

      この里に
      おぼろふたたび
      濃きならむ       久保田万太郎
              

 樋口一葉が住んだ竜泉寺町の家は、吉原とは歩いて5、6分の距離のところであった。代表作「たけくらべ」は、一葉一家が営んだ駄菓子屋の周辺の情景から生れた。
 現代の吉原地区を見ると荒んだ気持になってしまう。次の二首を書き留めるのに精一杯であった。


  格子戸の内に並べる女らを品定めする眼(まなこ)想ひき
  そのかみのにぎはひ想ふすべもなし吉原大門見返り柳