天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

下鶴間

新田義貞像

 小田急線・鶴間駅からバスで下鶴間に行った。ここは東西に走る矢倉沢往還と南北に走る旧鎌倉街道とが交わる地点である。矢倉沢往還は、部分的に大山街道ともいい、江戸青山から南足柄の矢倉沢峠を経て、駿河東海道に合流する古代の官道であり、旧鎌倉街道新田義貞軍が北條政権を倒すために鎌倉へ南進した道である。明治時代までは、重要な宿場であった。法令を板書して掲示した高札場もあった。ちなみに高札の制度は奈良時代に出来た。数少ない記録によると、例えば江戸末期には伊能忠敬渡辺崋山などが宿泊した。今でも立派な塀に囲まれた長者風の屋敷が所々に見られる。
 境川沿いを南下すると深見城跡や古戦場跡など室町期の史跡がある。といっても当時の面影など残ってはいない。

      
      着水のはなばなしきは鴨の群
      ゆまりする天竺坂の冬木立


  白鷺の前に浮び来上流へ川面かけりて川鵜発ちたり
  川沿ひに上流下流と折り返し生餌もとむる川鵜白鷺
  もののふの軍勢四万が戦ひし坂あり故に四万坂といふ