天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

根岸・子規庵

開園前の子規庵

 鶯の声をきくとどうしても鶯谷の根岸の里を思ってしまう。これは初めてだが、ついでに入谷の鬼子母神も見てこよう。というわけでJRの鶯谷駅に降り立った。子規が俳句に詠んでいる豆腐料理・笹乃雪の横を曲って、露地を通り子規庵に行く。引き戸を開けて庭に回ったのだが、早過ぎた。管理の人が出てきて、まだ開園していないという。しょうがない。言問(こととい)通りに沿って歩き鬼子母神に行ってみる。「おそれ入谷の鬼子母神」で知られる真源寺だが、建物を外から見るだけでなんとも味気ない。鬼子母神像を見れるものと思って来たのだが。
鶯谷駅の南口からスイカで入り、構内を北口まで歩き、改札口を出ようとスイカをかざしたら、ブザーがなった。駅員に聞くと、スイカのこういう使い方はできないという。つまり駅構内を通りぬけたり、入場券代わりにはできないということ。なんか不便だ。
林立するラブホテルの間を通って再び子規庵に戻った。前に来た時は、部屋の中には何もなかった記憶があるが、今や部屋にはビデオや空調機まで備えてあり、観光用に展示がなされている。それはともかく、病床六尺の間に座ると、時の流れるままに生きてきたわが人生が腹立たしくなる。


  訪ねきてラブホの裏の子規庵と知りて驚く言問(こととひ)
  通り


  後朝(きぬぎぬ)の別れとならず札数ふラブホを出でし女と男
  さみしげな女を連れてみち足りた男出でくる鶯谷
  寛永寺墓地をのぞめるラブホテルあまたならびて命ことほぐ
  実も蓋もなき歌詠みてたもとほる根岸の里のラブホの谷間
  八畳の句会の間にてビデオ見る二度建て替へし子規庵のこと
  二度三度筆投げ捨てて書きしとふ絶筆三句読みてさしぐむ
  ははそはの母の呼ぶ声むなしかり夜半に逝きにし三十四歳
  来訪の記念にと書くわが氏名子規の使ひし机に向かひ
  正座して糸瓜の棚を見上げたり子規終焉の六畳の間に
  八年をここに暮して逝きにけり二十坪なる小園めでて
  木のもとに集ひて撮りし蕪村忌の写真ありけりこの狭き庭
  子規庵の庭の椿はちりにけり昨夜(きそ)春雷の雨にうたれて
  子規庵に小鳥くるらし庭におくミカン輪切のつつかれし跡
  植物はむかしのものにあらざりき二十数歩に狭庭(さには)を
  めぐる


  子規庵に去年(こぞ)訪れて詠みしとふ土蔵の壁の投句の色紙
  妹と母が汲みにし井戸の跡土をうづめて小石敷きたり


 子規庵の撮影は、何故か外からも内からもだめ、とのことだが、知らずに外から撮ってしまった。観光客のせめてもの記念であり、お許しあれ。「子規葬送の道」を歩いて、子規と母・八重が眠る田端・大龍寺を訪いたいところだが、あきらめた。
 子規庵を出てから線路を挟んで向かいの寛永寺に立ち寄った。寺が経営する幼稚園の卒園式とのことで、盛装した大勢の親子が根本中堂の階段に並んで写真を撮っていた。了翁禅師座像、尾形乾山墓碑.乾山深省蹟 などを見て回った。  
  
      黄の一輪慈海の墓のチューリップ