スポーツを詠む(3)
2007年の「短歌人」11月号で、「歌人はスポーツをいかに詠ったか」という特集を組んだ。また、今年の「俳句四季」三月号で、川名大が、「現代俳句史」において取り上げている。これらの中から、いくつか引いてみよう。
俳句から見ていくのが、分かりやすい。
スポーツという言葉と共に、外国から入ってきた競技や道具に注目があつまる。野球、ラグビー、スキー、スケートなど。即物的な表現が新風として評価された。それと反比例するかのように相撲を詠むことは少なくなった。
スケート場沃度丁幾の壜がある 山口誓子
ピストルがプールの硬き面にひびき 同
ラガー等のそのかち歌のみぢかけれ 横山白虹
スクラムのとけてくづれてゆくところ 渡辺白泉
あらはれてすぐに大きくくるスキー 長谷川素逝
米式フットボール天ふくらめり 西東三鬼
野球については、なんと言っても正岡子規の短歌を筆頭にあげるべきであろう。明治三十一年に「ベースボールの歌」として九首作っている。『竹乃里歌』より。
久方のアメリカ人のはじめにしベースボールの面白きかな見れど
飽かぬかも
国人ととつ国人とうちきそふベースボールを見ればゆゆしも
若人のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如く者はあらじ
九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり
今やかの三つのベースに人満ちてそぞろに胸のうちさわぐかな
九つの人それぞれに場をしめてベースボールの始まらんとす
うちあぐるボールは高く雲に入りてベースを人の行きぞわづらふ
うちあぐるボールは高く雲に入りて又落ち来る人の手の中に
なかなかにうちあげたるは危かり草行く球のとどまらなくに
正岡子規がベースボールを野球と翻訳したというのは俗説であり、間違いらしい。ただ、子規は野球用語を数多く翻訳したことは確かであり、2002年にはその功績によって野球殿堂入りを果たした。