『天平の水煙』
高野公彦『天平の水煙』がやっと入手できた。第1版が売り切れ、第2版を待っていた。「あとがき」に書いているように、日本の懐かしい言葉を意識しながら歌を詠んだ、という。かつて古典とか諺とか落語などに登場し、いま滅ぶようとしている言葉である。さすがに白秋系の歌人、言葉の狩人だ。ただ、言葉遊びに流れているように思える作品もいくつかあり、心情に溶け込んでいないところも感じられる。
ポパイなやつポップコーンなやつなどがぞろぞろ歩くペプシ
な渋谷
ふんすいに初秋の陽ざし ドレミファソ・・ラシドの上の
まばゆき光
これらは感覚的な歌であり、注釈もなにも不要であろう。では、以下のような作品はどうか。
上階の人の足音やみしのち日の辻休み我は楽しむ
*「日の辻休み」は午睡のこと。マンションかアパートに
住んでいるのであろう、上の階の人が買い物に出かけた
かして、足音がやんだ午後、一眠りしたという。
裳裾よりちらとこぼるるつぶなぎの島らつきようも食ふ
べかりけり
*「つぶなぎ」は、くるぶしのこと。初句、二句は「つぶなぎ」
にかかる序詞。よって、裳裾からちらりと見えるくるぶしの
ような形をした島らっきょうも食ふべかりけり、ということ
になる。
ぼたん雪窓にふりつつ白紙(しらかみ)の〈月〉といふ字の
韻(ひび)く夕ぐれ
*白紙に書かれた〈月〉の字は、どういう状態にあるのだろう。
書の練習なのか?まさか! 窓にぼたん雪がふりつけている
夕暮の情景に対して、月の字を置く白紙は、清爽ともいうべき
雰囲気である。
「むず」といふ助動詞滅びたりしかど「負けずぎらひ」の中に
息づく
* !!??