天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

やまもも

平塚市のさる公園にて

 ヤマモモ科の常緑高木。果実を採るために栽培されるが、防風林、公園樹としても利用される。樹皮は褐色の染料になる。


  枝かはすやまももの木の夏木立わがみづいろ
  の網床かけよ           青山霞村
                     
  ほのかなるやまももの実はわが摘まむこの日
  したがふひとり子の為       小池 光
                     

 青山の歌は、やまももの木に水色のハンモックをかける場面であろうか。小池の「わが摘まむ」といった措辞は、斎藤茂吉流である。
 余談だが、NHK・BSで小津安二郎監督の映画「麦秋」を、久しぶりに見た。北鎌倉に住む大家族の日常と近所付き合いの出来事を淡々と描いているが、原節子役の三十歳になろうとする娘が結婚の決意をする場面に泣かされる。昭和の戦後50年代には、どこの中流家庭でも見られた情景であろう。短歌でもこうしたアプローチをとりたいと思う。
[追伸]絵画で例をとるなら、コローの風景画である。名画「モルトフォンテーヌの思い出」のような情緒が短歌で表現できるとよい。この感想も実は、NHK3チャンネルの「新日曜美術館」を見た時に起きた。