建長寺・半僧坊
鎌倉五山第一の建長寺は、『吾妻鏡』によれば、建長3年(1251年)から造営が始められ、同5年(1253年)に落慶供養が行われたとある。開山の蘭渓道隆は中国・宋末の禅僧。寛元4年(1246年)、33歳で来日した。筑紫、京都に住んだ後に鎌倉に入り、建長寺が創建されるまでの間、現存する鎌倉市大船の常楽寺に住んだ。
半僧坊権現は1890年に当時の住持であった貫道禅師が静岡県引佐郡奥山(現・浜松市)の方広寺から勧請した神で、火除けや招福にご利益がある。
半僧坊とは、後醍醐天皇皇子の無文元選禅師のところに忽然と現われた高い鼻、赤ら顔、白髪の老人で、神通力を持っており、無文禅師が死去すると姿を消したという。
水打つや開店前の甘味店
美中紅北京より来し蓮の花
山門にのぼれる若き僧ありて何やら叫ぶ地上の僧に
天空にまなこ鋭き龍が棲む釈迦のあばらの太き骨組み
老人と乙女とふたり声あぐる朝ねたましき方丈の縁
いつの世の一万本の杉苗か勝上ガ嶽の大杉木立
修験者の変化なりけり半僧坊山のなかばに羽根ひろげ立つ
半僧坊大権現の神殿に白き蚊が棲む合掌一礼
サッカーに興ずる子らの声きこゆ半僧坊の勝上ガ嶽