天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

銀杏もみじ(1)

円覚寺にて

 抜けるような青空の下、北鎌倉は紅葉狩の観光客で大変な人出であった。特に円覚寺の山門はごった返していた。紅葉を背景に写真を撮る人が多く、通行がままならないからである。檀家以外は入ることを禁じた墓地にもカメラを構えている。一眼レフの本格的カメラを持っている老人が多いのにひとつの世相を感じる。かくいう私もデジカメを構えて通行を妨げている一人なのだから人を難じる資格はない。今日は銀杏の黄葉に注目した。円覚寺東慶寺の銀杏の高木が朝日にかがやいて黄葉をちらし始めていた。


      銀杏散るまつただ中に法科あり    山口青邨
      蹴ちらしてまばゆき銀杏落葉かな   鈴木花蓑


  わたりくる永き光にかがやきて黄につもりをり銀杏落葉は
                     佐藤佐太郎
  静かなる成りゆきにして散りはてし銀杏裸木ゆるぎなき冬
                     岡山たづ子
  しぐれ過ぎし公孫樹は黄金(きん)の音楽となりて立ちをり
  あかとき都市に            高野公彦
                                  

 円覚寺の帰源院では、鎌倉漱石の会が開かれていて、数十人の会員を前にマイクを持って講演しているらしく声が東慶寺にまで聞こえていた。鎌倉幕府についての話のようであった。


      小春日の卵はこび来円覚寺
      竹林に朝日射しくる焚火かな
      黒き枝にかがよふ銀杏黄葉かな