天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

三内丸山遺跡

三内丸山遺跡

 三内丸山遺跡は、江戸時代から知られていた。縄文時代前期から中期(約5,500年前〜4,000年前)の大集落跡、平安時代の集落跡(約1,000年前)、中世末(約400年前)の城館跡の一部などが発掘されている。
 縄文時代の遺跡から、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、掘立柱建物跡、大量の遺物がすてられた谷(泥炭層)、約1,000年かけて造られた盛土、大人の墓、子供の墓、土器作りのための粘土採掘穴などが見つかった。泥炭層から見つかった動物や魚の骨、植物の種子や花粉から、当時の自然環境や食生活などが分かる。鉱物のヒスイ、コハク、黒曜石などは遠方との交易を物語る。漆器は専門的な技術をもった人々がいたことを示す。
 遺跡の発掘後は芝生で埋め戻されている。


  栗、コナラ、栃の木などに囲まれて千年住みし縄文の村
  縄文の乙女を想ふみちのくの遺跡に出でしピアス、ヘアピン
  丈高き地層の間のかはらけに千年間のくらし想へり
  さりげなく埋め戻されし縄文の遺跡の丘に蕗の薹出づ