天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

猿橋

甲州猿橋

 岩国の錦帯橋、木曾の桟、甲斐の猿橋 という日本三奇橋のひとつであり、安藤広重が「甲陽猿橋之図」に、十返舎一九が「諸国道中金之草鞋」に書いたように、文人墨客の食指を動かした。そこに行くには、JR中央線猿橋駅から甲州街道を東に15分ほど歩けばよい。断崖せまる渓谷の桂川に架けられている。
 初めて架けられたのは、七世紀の推古朝の頃らしい。渡来した百済の人・志羅呼が、この所に来た際、猿たちが藤蔓をよじって断崖を渡るのを見て、橋を造る方法を思いついたという。橋脚を用いず棟木と横桁を何段も重ねて中央で結合するという独自の構造である。以来、何度となく建替・修理が行われた。現在の橋は、嘉永四年(1851)の出来形帳にのっとって架け直されたもので、昭和58年着工、59年8月完成。橋の長さ30.9m、橋の幅3.3m、橋から川面まで30m。総工費は3億8300万円だった。


      猿橋や鮎釣る人の桂川
      猿橋や涼しき風の吹き上がる
      そのかみの猿橋しのぶ蝉しぐれ


  幾千年山を削りて流れけむ川の辺に立つ河岸段丘
  源流を訪ねてゆけば桂川青き流れにかかる猿橋
  手と足をかたみにつなぐ猿の群重なりあへるごとし猿橋
  青澄める川のよどみに銀色の腹を返して魚あまた棲む
  そのかみは藤蔓の橋猿どもがつながり渡る渓谷にして
  峡谷のふかき処に橋かけて山沿ひゆきし百済人はや
  猿橋をわたりて望む西方は雨雲垂るる甲斐の山なみ



橋の両たもとに句碑がいくつかある。芭蕉の次の句が書かれているというが、読めない。

         猿橋や月松にあり水にあり
         猿橋や蠅も居直る笠の上
         うき我を淋しがらせよかんこ鳥
         かれ枝に 鴉とまりけり 秋の暮


ただ、『芭蕉全句』に当ったところ、初めの二句は見当たらない。また、三句目は、嵯峨日記に出て来るもので、甲州の旅路ではない。各地の観光名所にある句碑には、こうした現象をしばしば見かける。