天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

七夕

平塚の七夕

 七夕は陰暦の七月七日だが、季語の上では早くも秋である。漢字では、棚機、織女などとも。
俳句の傍題は、七夕祭、七夕竹、七夕流し、星祭、星迎、星合、星今宵、二星、牽牛、織女、願ひの糸と多彩である。


    七夕や天皇の御名を書しまつる    山口誓子
    七夕の竹晴天を乱し伐る       原 裕


  織女(たなばた)の袖つぐ宵の暁は川瀬の鶴は鳴かずともよし
                      万葉集・湯原 王
  ちぎりけむ心ぞつらきたなばたの年にひとたび逢ふは逢ふかは
                      古今集藤原興風
  まことかと見れども見えず七夕は空になき名を立てるなるべし
                          紀 貫之
  七夕の天の河原の岩まくら交しもはてず明けぬこの夜は
                      千載集・源 俊頼
  七夕の天の羽衣うちかさね寝る夜すずしき秋風ぞ吹く
                      新古今集藤原高遠
  七夕のゆふべしづけし恋ほしかるいろ紅(くれなゐ)の合歓咲き
  出でて                     宮 柊二


神奈川県に住むものにとっては、平塚の七夕が自慢になる。


  ブブゼラとボールかざりて言祝ぐも相州平塚七夕まつり


これを「短歌人」の東京歌会に出したら、藤原龍一郎さんが、「不易流行」というキーワードで適切な鑑賞をして下さった。それよりも藤原さんの次の詠草にはショックを受けた.わが平和ボケの歌などけし飛んでしまう。


  憲法第九条あれど首都の夜をゲリラ豪雨は襲撃したり


下句はもちろん暗喩である。憲法第九条があれば、わが国はいつまでも平和だと、信じている人たちがいるのだろうか。日米安保条約と対になって機能していることに思いをはせる人はどれほどいるのだろう。憲法第九条には、わが国に対する某国の武力攻撃を抑止する力など無いことを思い知らせてくれる。短歌にもこれほどの説得力があるのだ!