天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鎌倉長谷の山中にて

 栗はブナ科の落葉高木。縄文時代三内丸山遺跡(約5500年前)には大規模な栗栽培の跡があり、時代が下って「日本書紀」には持統天皇の時代(7世紀)に、国家が栗の栽培を奨励していたことが記されている。このようにわが国では太古の昔から栗を食していたことが分かる。それにしても日本産の栗には二百種もあるというから驚く。
万葉集には次の三首に詠まれている。一首目は、よく知られた貧窮問答歌。「三栗(みつぐり)の」は枕詞。


  瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ・・・
                   万葉集山上憶良
  足柄の箱根の山に栗蒔きて実とはなれるを逢はなくもあやなし
                   万葉集・東歌
  三栗(みつぐり)の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
                   万葉集・作者未詳
  月読の光りを待ちて帰りませ山路は栗のいがの多きに
                      良寛
  落ち積る朽葉が下のみなし栗何かは人に有りと知られむ
                     大江音人
  山風に峯のささ栗はらはらと庭に落ちしく大原の里
                      寂然
  おのづから干てかち栗となりてをる野の落栗の味のよろしき
                     若山牧水
  寒き雨すぎたる今朝の草の中むなし栗いくつ新しく見ゆ
                     土屋文明


  いがぐりの落ちたる谷戸の道あればその実をひろふわれならなくに