天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

早春賦3

横浜三渓園にて

 島崎藤村が大磯に移り住んだのは、昭和十六年二月のことであった。六十九歳。昭和十八年に「夜明け前」の続編である「東方の門」に着手していたが、八月二十二日に脳溢血で死去した。七十一歳。地福寺境内に梅の木に囲まれて夫妻の墓が並ぶ。
 横浜市中区の三溪園には、国の重要文化財建造物10件12棟、横浜市指定有形文化財建造物3棟など、17棟の建築物がある。梅の名所である。
 大船フラワーセンターでは、玉縄桜が咲いていた。わずかな梅林では、数本に花が開き始めた。


     境内に紅梅あれば門を入る
     紅梅の奥に本堂観世音
     白梅や藤村夫妻の墓ならぶ
     梅の枝の莟ほころぶ茶筅
     枝幾重つぼみは固き臥龍
     探梅に麦湯接待初音茶屋
     白梅の風に騒立つ水面かな
     花桃や照手姫の名与へられ
     春蘭や自慢の鉢を並べたる
     ありし日の祖母を思へり福寿草


  東海道大磯宿の高札は鴫立庵のむかひにありき
  地下に寝る藤村夫妻を見下して古梅は白き花をつけたり
  梅の下に藤村夫妻の墓ありて谷口博士の設計といふ
  身をかはし刀の当りし燈籠の欠けたるところ青苔の生ふ
  餌もたぬわが近づけば群なして遠ざかりゆくキンクロハジロ
  餌を撒く人見かくれば遠くより飛び立ちきたるキンクロハジロ
  餌を撒く人に寄りきてさはがしきキンクロハジロと色鯉のむれ
  水鳥の羽根そよがせてさざ波の水面をわたる如月の風
  故里はタンザニアといふ睡蓮のニンフェア・コロラータに白き
  花あり


  みちのくの瓦礫の中にとり上げし二十五万枚の思ひ出
  みぞれ降る廃墟の中に「がんばろう!石巻」の看板が見ゆ