天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

恐るべき歌集

紅書房刊

 先日、神奈川近代文学館斎藤茂吉展を見に行った際に知った歌集『萬軍』をアマゾンに注文して購入した。読んでいくにつれ、とんでもない歌が詠まれている恐るべき歌集との印象を持った。独裁国家の宣伝もかくやは、と思えるほどの詠みぶりなのだ。当時の戦時下にあって、茂吉は近代日本の柿本人麻呂たらんとした感がある。歌の言葉の斡旋を見ればわかる。軍部にとっては大変都合の良い作品であり、面映ゆいほどであったろう。当時の主流歌人たちは、大なり小なり戦意高揚の歌を詠んだが、茂吉は傑出していたのではないか。
 一転、敗戦後の民主主義からする戦争責任追及には、格好の材料になった。そして茂吉の忸怩たる思いも痛いほどよくわかる。この歌集は、戦争になった場合の知識人の言動を考えさせる資料として貴重に思える。以下にいくつか例歌をあげておこう。


  天皇のいまします國に「無禮なるぞ」われよりいづる言
  ひとつのみ


  何なれや心おごれる老大の耄碌國を撃ちてしやまむ
  罪ふかくおどおどとして北上せる敵戦闘艦はたちまち空し
  天地に熔けむとぞする攻撃に悪業の英領香港くだる
  赤道をすでに超えたる萬軍のいさみ勇むはいかにか讃へむ
  学校より歸りて居りしわが娘と正午勝鬨に和しをはりけり
  全けきをささげまつらむ時は好し時至れりと学徒大進軍
  乏しきにこらへこらへて戦の力をのべむ國民いまは
  大君は藭にいませばうつくしくささぐる命よみしたまへり
  高山の聳ゆるきはみ大河の流るるきはみ戦はないざ


歌集の後記の日付は、昭和二十年夏。七月にガリ版で発行されたという。茂吉は、この歌集を決戦歌集と位置付けている。国力が違いすぎるのではないか、負けるのではないか、といった不安な心はどこにも表れない。ひたすら国のために戦う、という意志が詠われている。
 将来、このような歌集は二度と現れないだろう。現れてはならない。