残暑雑詠(2)
藤沢市にある白旗神社は源義経を祀る。以前にも紹介したが、義経の生首は腰越で検められた後、海に捨てられた。藤沢の川に流れ着いたその首を村人が洗い清めて祀ったという。
鎌倉の腰越には小動(こゆるぎ)岬(みさき)という小さな岬がある。名前の由来は、風もないのに揺れる松があり、「こゆるぎの松」と呼ばれていたことから、「小動」の名が付いたという。ここにある小動神社は、文治年中(1185年)、佐々木盛綱の創建と伝えられる。盛綱は寿永三年十二月(1184年)、源範頼の軍に従い平家追討の際、備前の国児島において霊験を得て僅か六騎にて平行盛を追伐し無事鎌倉に凱旋した。盛綱は故郷近江の八王子宮を新たに勧請すべくその地をさがしていたが、江ノ島弁財天に参詣の途次、小動山に登りその風光に魅せられて勧請の地に決めたという。
昭和5年11月この岬で太宰治が、3日前に知り合った19歳の女性とカルモチンを服用し自殺を図った。女性のみが死に本人は助かった。太宰は後にこの体験をもとに『道化の華』を書いた。
虫食ひの葉に支へられ醉芙蓉
狛犬も頬かむりする残暑かな
サーファを放り上げたり土用波
七里ガ浜くだけてしぶく土用波
石仏のねむりを包む槿かな
蝉しぐれ延寿の鐘の鎮もれる
緑青の屋根に映えたり百日紅
潮風のわだつみ神社百日紅
秋風や解体さるる海の家
際立つは蜂須賀連と阿呆連 女をどりに血潮がぞめく
義経の御霊まつれる白旗の杜をにぎはすつくつく法師
立ち並ぶ家のはざまの公園の隅に残れる首洗ひ井戸
さねさし相模の奥の空遠く晩夏の富士は黒く佇む
義経がとどまり書きし言ひ訳の写し残れる腰越の寺
心中を図りし太宰女のみ死にてくやしきこゆるぎ岬
道連れにされし女の不幸など思はざりしか津島修治は
日蓮の幽閉されし洞窟に秋来ぬと鳴くつくつく法師
創業は大正二年の写真館すばな通りに店開けてゐる