天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

鑑賞の文学 ―俳句篇(30)―

小学館より

     秋深き隣は何をする人ぞ   芭蕉・〈笈日記〉元禄七年


山口誓子
 元禄七年の作。秋も晩秋、隣家に住みひそめる人は誰であろうか。何を職としている人であろうか。隣人と自分とは何の関わりもないが、秋深きいま、隣人の上に思いを馳せずにはいられない。ここにも、人生の寂寥がある。隣り合い、生き合って、しかも互いに知ることのないという人生の寂寥。「此秋は」と「秋深き」は、心に地つづき、同じ心が「此秋は」となり、また「秋深き」ともなった。「此秋は」で深まった寂寥感が、ここに浸み出てきたと言ってもよい。『笈日記』に拠れば、静養の芭蕉は翌日の会のためにこの句を作って送った。そしてその夜から病状がはっきり現われてきた。


飯田龍太
 こんな他愛もない内容が、時代を越えて誰の胸にもピンとひびくというのは、容易ならぬことである。つまり、何ということもない日常茶飯事が、改めて鮮やかに印象され、それが格別身にしみて有難く思ったとき、自然と人界の微妙を知る。それが軽みの大事な要素ではあるまいか。 「朝日新聞」昭和五十三年一月
    
加藤楸邨
 ・・・この句では描写という要素はほとんど切り棄てられ、ただ「秋深き」という季節感に集約されている。そしてそれは、自分も彼もあらゆるものが、秋深き底にある、その中の「秋深き隣」という把握なのである。「秋深き」で切れるのではない。いわんや「秋深し」では詠嘆に流れ、全く平板になってしまうであろう。
    (この句が出ている注釈集などを各種レビューしている。)


 *誓子の鑑賞に少し注釈しておこう。芭蕉が死を近くして詠んだ俳句に、掲出の句以外に「此秋は何で年よる雲に鳥」がある。誓子はこの句にも言及しているのである。この後に生涯終の句「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」を詠んだ。