天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

桜井の駅

JR島本駅前にて

 桜井の駅における楠木正成・正行父子の今生の別れは、『太平記』の名場面のひとつ。「駅」とは宿場のこと。この駅は現在の大阪府三島郡島本町桜井にあたり、JR島本駅のそばに記念として小さな公園ができている。藤原定家ゆかりの地として水無瀬離宮址を尋ねる途中に立ち寄った。
 唱歌『桜井の訣別』の冒頭、「青葉茂れる桜井の・・・」(作詞・落合直文、作曲・奥山朝恭)は、年配の人たちには馴染みであろう。桜井の訣別としては6番までで、よく知られているが、実は歌詞は、敵軍襲来、湊川の奮戦 と続き、15番まである。次には1番と6番だけあげておく。七五調がなんとも心地よい。


  青葉茂れる桜井の  里のわたりの夕まぐれ
  木(こ)の下陰に駒とめて  世の行く末をつくづくと
  忍ぶ鎧(よろい)の袖の上(え)に  散るは涙かはた露か


  共に見送り見返りて  別れを惜しむ折からに
  またも降りくる五月雨の  空に聞こゆる時鳥(ほととぎす)
  誰か哀れと聞かざらん  あわれ血に泣くその声を


公園の隅には、明治天皇の御製(東郷平八郎の揮毫)が、立派な石碑になっている。

  子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて
        昔をしのぶ さくらゐのさと

古くは、芭蕉が次の句を詠んでいる。

     なでし子にかかる涙や楠の露   芭蕉

明治時代の作である謡曲「楠露」の曲名は、この句に由来する。


  忠誠と滅私奉公称へたる碑(いしぶみ)立てり桜井の里
  桜井の駅の石碑の広場にはゲートボールの老人のむれ


 右上の画像は、「楠公父子訣別之所」の碑である。