天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

大山紅葉(続)

伊勢原市大山にて

 2006年12月2日に続いて、という表題なのだが、今回は紅葉全開という情況ではなかった。11月中旬では、大山の紅葉は始まったばかり。なお、わがブログで大山という時は、神奈川県伊勢原市にある大山を指す。
 女坂には、二か所に芭蕉句碑がある。一つは、大山寺の石段上で寺に向かって右手。

     雲折々人を休むる月見かな   芭蕉

「続虚栗」に載っているもので、貞享二年の作。西行歌「なかなかにときどき雲のかかるこそ月をもてなす限なりけれ」及び『徒然草』一三七段「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。・・・」を踏まえるという。
二つ目は無明橋の右上。

     山寒し心の底や水の月     芭蕉

この句は、『芭蕉全句』(小学館)には載っていない。一体どこから持ってきたものだろう。古いが立派な石碑なので、まさかいい加減な引用ではないはず。


     廃屋の垣根に朱き烏瓜
     雲晴れて谷になだるる山紅葉
     滝音の女坂ゆく紅葉狩
     黄葉の大山寺に詣でけり
     厄除けのかはらけ投ぐる紅葉谷
     紅葉狩無言に渡る無明橋
     いつせいに音たててちる枯葉かな
     小吉の御神籤むすぶ紅葉かな


  肉の店水曜土曜が特売日 大山行きのバスに聞きたり
  立札に七不思議見る女坂もみぢ明りの子育地蔵
  大木になりて倒れし樅の木を朽ちたるままに山に返せり
  まちがへて仏法僧と呼ばれたりコノハズク棲む大山の森
  大山の森に棲み継ぐ年月を「ブツポウソウ」と啼く木の葉づく
  両側に黒き童子の石像の並ぶ石段紅葉に翳る
  参道に沿ひて流るる川の橋すべてが朱く塗られてゐたり