天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

スケート

NHK・BSテレビ画面から

 用具としては、靴の底にブレードを取り付けただけのもの。こうした用具は、寒冷地の考古遺物として発掘されている。ブレードは獣骨を削ったもので、これを木製の履に固定していた。スケートの近代化に貢献したのは、オランダであった。12世紀ころから運河の建設が進み、これらが冬季に結氷すると市民たちが道路代りに滑走し移動するようになったという。これが娯楽化していった。スポーツとして楽しむようになったのは、17世紀ころからであった。1772年には、イギリスでフィギュアスケートの技術書が刊行された。1892年に国際スケート連盟が創立された。1924年冬季オリンピックの正式種目になった。
 日本には1877年に札幌農学校へ伝えられた。1909年には、諏訪湖でスピードスケート大会が開催されている。
前衛歌人たちの作品をあげておこう。


  氷上にまぶしき人ら暈(かさ)もてりスケートの刃はきら
  めきながら              葛原妙子


  春夜、電車のまぶたおもたきわれにむけ青年のスケート
  靴の蒼き刃              塚本邦雄


  祖国信ぜずこのスケートの青年ら春氷縦横無尽に傷(いた)め
                     塚本邦雄
  少女の手とりて滑れば木崎湖を血だまりにしてわななく
  落暉                 春日井建


  青年の氷跡をたどり滑りゆけば愛は刃身(エツジ)に研(と)
  がれてゆけり             春日井建