天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

炎暑に湯豆腐

南禅寺にて

 八月二十二日、二十三日と暑いさ中を京都に出かけた。母の三回忌に出席するためだが、喪服すがたで歩くのは、上着、ネクタイをはずしていても汗だくになってしまった。ついでに泉涌寺南禅寺清水寺、霊山護国神社などを訪ねた。清水寺近辺は、東南アジアからの観光客でえらく混雑していた。
 南禅寺豆腐を今回初めて食べた。有名店に入って湯豆腐のコースを注文した。量は十分だったのだが、味付けに変化がなく、また刻みネギ以外の調味料もついていなかったので、好みの味にすることもできなかった。がっかり。


     緑陰の岩に苔むす泉涌寺
     涼風や楊貴妃観音かぐはしき
     三門の二階に涼む南禅寺
     湯豆腐を炎暑に食ふも南禅寺
     鳥辺野の墓地崩れたり野分あと


  五右衛門の気分やいかに南禅寺三門二階の廊下をめぐる
  南禅寺三門二階の廊下には観光客が坐りて涼む
  維新後に非業の志士を祀りけり功名なりし逃げの小五郎
  いただきに木戸がしづもる霊山のふもとに続く維新の道は
  霊山へ維新の道をのぼりきてはじめに出会ふ坂本龍馬
  ふもとには坂本龍馬中腹に高杉、久坂 頂きに木戸


 霊山護国神社に維新の志士達を祀ったのは木戸孝允であった。桂小五郎時代は、池田屋事件のように多数の仲間の志士たちが斬殺されたのに、桂だけは逃げおおせた、など後ろめたい思いも強かったのであろう。木戸は病状が悪化し45歳で生涯を閉じるのだが、勤王の志士達と共に東山に葬るよう遺言していた。