道のうた(3)
ところで北海道は何故、北海県としなかったのか? 「道」というのは、律令国家の地方行政の基本区分で、起源は古代中国である。天武朝は、日本を五畿(山城、大和、河内、和泉、摂津)七道(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)に区分した。この「道」は、「国」をいくつも含むような広い地域であり、また「みち」でもあった。明治維新までは、今の北海道は蝦夷と呼ばれていて、七道には含まれていなかった。明治になって初めて行政区分の必要が生じ、律令国家の観点から北海道が生まれたようだ。
ゆく春とともにたちぬる船路(ふねみち)をいのりかけたる
藤波の花 大斎院選子内親王
刈萱の関守にのみ見えつるは人もゆるさぬ道べなりけり
新古今集・菅原道真
都人たれ踏みそめて通ひけむ向かひの道のなつかしきかな
承久記・後鳥羽院
横雲は峯にわかれて逢坂の関路のとりの声ぞあけぬる
新後撰集・源 清兼
月にゆく夜道すずしみをぐるまのすだれを風はふきとほすなり
伏見天皇
遇ふて憂きは雪にかげろふ有明に風身にしみて帰るさの道
頓阿
九重の内野の雪に跡つけて遙かに千代の道を見るかな
増鏡・後深草院少将の内侍
さみだれに爪木の道も絶えにけり谷の岩橋水こえしより
村田春海
わが宿のかきねがくれのつづらをりくる人あらばまつ
人にせむ 桂園一枝・香川景樹
家邑(むら)を千尋の谷の底にみて椙(すぎ)の梢を行く
山路かな 伴林光平