わが歌枕―伏見
ここでは京都市伏見区伏見(宇治川の北岸)の場合をとり上げる。ここも平安時代から貴族の山荘が多かった。周知のように伏見稲荷大社は、30,000社あるといわれる全国のお稲荷さんの総本宮である。稲荷山に稲荷大神が降臨したのは、奈良時代の和銅4年(711)2月初午の日とされ、以来1300年余が経った。
稲荷山の頂上までを往復してみたが、かなりの運動量で足腰が痛くなるほどであった。
巨椋(おほくら)の入江とよむなり射目人(いめひと)の伏見
が田(た)居(ゐ)に雁わたるらし
柿本人麻呂歌集『万葉集』
すがはらや伏見のくれに見渡せば霞にまがふをはつせのやま
読人しらず『後撰集』
都人暮るれば帰る居間よりは伏見の里の名をばたのまじ
橘俊綱『後拾遺集』
思ひわび寝るも寝られぬわが恋は伏見の里に住むかひぞなき
太皇太后宮小侍従『小侍従集』
朝戸あけて伏見の里にながむれば霞にむせぶ宇治の川浪
藤原俊成『長秋詠藻』
伏見山松のかげより見わたせば明くる田の面に秋風ぞ吹く
藤原俊成『新古今集』
都出でて伏見をこゆる明方はまづうちわたすひつ河の橋
藤原俊成『新勅撰集』
伏見山つまどふ鹿のなみだをやかりほのいほの萩のうへの露
藤原定家『拾遺愚草』
暮れかかる伏見の門田うちなびきほなみを渡るうぢの河舟
藤原為教『玉葉集』
秋空は澄みかがやけり伏見のや菅原寺はくづれむとする
窪田空穂
ちなみに奈良市菅原も伏見と呼んで、歌枕の地であった。
どこまでも続く稲荷の朱の鳥居捧ぐる人の今に絶えざる