わが歌枕―小倉山(2/2)
「小倉山」は「小暗い」「鹿」「紅葉」などと組み合わせて詠まれることが多かった。以下の一首目から三首目は、理屈を入れていることがよく分る。
小倉山の麓にも西行は庵をもって住んだらしい。余談になるが、西行は京都、伊勢、高野山、吉野山、讃岐 など各地に庵を結んだというが、それぞれに住んだ期間が不明。
目的があって移り住んだことは理解できるが、不思議な羨ましいような生活である。
大井川うかべる船のかがり火にをぐらの山も名のみなりけり
在原業平『後撰集』
怪しくも鹿のたちどの見えぬかなをぐらの山に我や来ぬらむ
平 兼盛『拾遺集』
いづくにか今宵の月の曇るべき小倉の山も名をやかふらむ
藤原忠平『拾遺集』
なく雁の音をのみぞきく小倉やま霧たちはるる時しなければ
清原深養父『新古今集』
いつとなきをぐらの山の陰をみて暮れぬと人の急ぐなるかな
道命『新古今集』
小倉山ふもとの野辺の花すすきほのかに見ゆるあきの夕暮
読人しらず『新古今集』
わが庵は小倉の山の近ければうき世をしかとなかぬ日ぞなき
八条院高倉『新勅撰集』
露時雨そめはててけり小倉山けふや千しほの峰のもみぢ葉
藤原範宗『新勅撰集』
小倉山いま一たびもしぐれなばみゆき待つまの色やまさらむ
藤原光俊『続古今集』
虚子の句碑西行の歌碑もみぢ散る