天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

吾輩には戒名も無い(1/8)

日本犬(webから)

 愛玩動物と言いペットと言い、所詮われわれ人間のエゴで飼い慣らしているものだが、捨てられた猫や持ち込まれた仔犬を引き取り、共に暮していると愛情が深くなる。別れる時には悲しく寂しい。死んだ際には、火葬し墓を立ててやることも珍しくない。
ここでは、我々人間と親しく生活を共にした愛玩動物が、死別に際してどのように詠まれたか、覚醒した感覚や心情を見てゆきたい。死んでゆくのは、動物の場合と人間の場合とある。
犬や猫との別れ
 わが国における飼犬の最初の記録は日本書記に見られる。万(よろず)という人が飼っていた白い犬が、敗軍となって戦死した主人の五体バラバラに裂かれた屍の周りを吠えて廻り、頭を咥え出し、古い墓まで運び入れて、自分はその傍らに臥したまま餓死した。朝廷では大変に感心して、後に万とその犬を同じ墓に埋葬した、という。
 猫の方は、平安時代初期の説話集『日本霊異記』に初めて登場する。生前に数多の罪を犯した報いを、黄泉で受け続ける広国の父が語る部分である。飢えた広国の父は、次々に動物に姿を変えて、現世に現れる。七月七日に大蛇、五月五日に狗犬、正月一日には猫となって、広国の家に現れた、という。また枕草子・第九段には、「命婦おとど」という猫と翁丸という犬の話がある。
古典和歌に詠まれた例は少ないが、二首ずつ次にあげる。ただ、別離を詠った歌は、残念ながら見当らない。
 垣越ゆる犬呼びこして鳥狩(とがり)する君青山のしげき山辺
 馬やすめ君           万葉集柿本人麻呂歌集


 里びたる犬の声にぞ聞えつる竹よりおくの人の家居(いへゐ)は
                   拾遺愚草・藤原定家
 しきしまのやまとにはあらぬ唐猫のきみがためにぞもとめ出でたる
                      夫木抄・花山院
 東屋のまやの軒端に声するは手がひの虎の妻やこふらし
                      揖取魚彦歌集
「手がひの虎」は猫のこと。揖取魚彦(かとりなびこ)は江戸時代中期の国学者歌人