天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

吾輩には戒名も無い(8/8)

インコ(webから)

 インコはインコ科に属する約三三0種類の鳥の総称。中でもオーストラリア原産の小型のセキセイインコが家庭でよく飼われる。九官鳥と同様、教えることによって人語をしゃべるようになるので人気がある。ただペットのインコが逃げ出して野生化し、公園などに棲みつき繁殖している。なお和名の背黄青鸚哥(セキセイインコ)は日本に最初に来たインコの背が黄色と青だったことに由来する。インコとの別れの歌を次に一首。
  クリすけと呼びて八年親しみしインコ死にゆけり
  鼻ペチャとなりて           大島史洋


インコはもともと鼻ペチャなのだが、死んだ時あらためて、その顔つきに気付き、愛おしいと思った。死に遭遇して一瞬見方が変わるのだ。
カナリヤは、一六00年代にスペイン人の船員によってヨーロッパに持ち込まれ、飼い鳥として品種改良された。日本へは江戸時代にオランダ人により長崎へもたらされた。羽の色や模様、姿形、さえずり などを楽しむ。一方で窒息性のガスやサリンなどの毒ガスの検知にカナリヤが利用されることもある。飼っていたカナリヤが猫に食われて死んだ歌を次に。
  土踏みしことなき趾(あし)の片方を残してカナリヤ猫に
  食はれぬ            北沢郁子『夢違』


趾は鳥類特有の足のつま先裏に該当する部分なので、初句二句は分りやすい。事実そのままを詠んでいるのだが、上句からは大切に飼っていたカナリヤに対する憐れみが感じとれる。


 人の死を悼む挽歌と愛玩動物の死を悼む哀傷歌とでは、やはり言葉の遣い方に違いが出るようだ。人の場合は、その死に対する尊厳と遠慮の思いが働くのだが、動物については、そうした配慮は要らず、リアルに直截に詠むことで自由な愛情表現が可能になる。口語短歌も見てみたい。表現がさらに豊かになるはずである。